その昔、日本には”ファンキー・ブーム”という社会現象?が巻き起こり、ウソかホントかわかり
ませんが、蕎麦屋の出前があの「モーニン」を口笛で吹いていたなんていうくらい、アート・ブレ
イキー・ジャズメッセンジャーズの音楽がもてはやされた時代がありました。
実際、1961年の元旦に初来日したジャズ・メッセンジャーズ一行は、初来日時のビートルズ
とまではいかないまでも、今では到底考えられない程の熱狂的な歓待を受け、彼らの演奏して
いた音楽はもとより、彼らが身に纏っていたファッションまでもが注目の的だったようです。
また、そういったことだけではなく、当時の日本の新進気鋭のジャズメン達は、最新の演奏技
術と知識を持った彼らと交流を果たすことによって大いに刺激を受け、日本のジャズは更なる
進展を遂げることになるわけですから、日本のジャズ・シーンにとっても彼らの初来日は、非常
にエポックメイキングな出来事だったといえますね。
今回紹介するのは、まさに、その初来日時のジャズ・メッセンジャーズの東京サンケイホール
での熱演を記録したライブ音源で、外タレのアルバムとはいえ、日本のジャズ史においてもとり
わけ大きな意味を持つ1枚と言っても過言ではないでしょう。
LIVE IN JAPAN 1961 ライヴインジャパン1961ART BLAKEY & THE JAZZ MESSENGERS アート・ブレイキー & ザ・ジャズ・メッセンジャーズ
曲名リスト
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1961年のジャズ・メッセンジャーズの顔触れといえば、初代の音楽監督的な立場であったサ
ッスのベニー・ゴルソンはすでに退団。他のメンバーは変わってませんが、後にマイルスの黄金
クインテットに大抜擢され、更にはジャズ・シーン全体を牽引することになるウェイン・ショーター
に変わっっていました。
ウェイン・ショーターといえば、当時のジャズのニュー・ウェイブな手法である”モード手法”を既
に消化しており、この音源に耳を傾けてみると、当然のことながらグループのサウンドがバリバ
リのハード・バピッシュなものにややモーダルな新風が吹き込まれているのがわかります。
たとえば、おなじみの「モーニン」や「ブルース・マーチ」なんかもオリジナルとは風合いが異な
るものになってますし、「サミット」なんかは当時のメッセンジャーズにとっては新しい試みといっ
た作品ではないでしょうか。トランペットのリー・モーガンもショーターに啓発されていたのでしょ
う。少しモダンなムードで吹いてますね。(「モーニン」も「ブルース・マーチ」もアレンジは同じ
ですが、サックスがショーターに変わっただけでちょっと雰囲気が変わって聴こえます。「イッツ・
オンリー・ペーパ−・ムーン」や「ブリーズ・アンド・アイ」なんかはショーター風の解釈じゃないで
すかね。
まあ、ショーターと本音としては、もっとアヴァンギャルドなこともやりたかったところもあるでし
ょうが、彼らにとって”ナツメロ”になりつつあった「モーニン」や「ブルース・マーチ」を愛する日
本のファンのため、またはグループの意向もあったでしょうから、それなりの裁量が加えられて
いたのは間違いないでしょう。
これは想像ですが、本場の凄まじいパワーと迫力に圧倒される一方、どこか目新しいサウン
ドに少しだけ戸惑いのようなものを観客は感じていたのかもしれません。「あれ、ちょっと俺らの
知ってる”モーニン”と違うな」みたいな。まあ、みんながみんな、彼らの最新アルバムをチェック
していたとも思えないのでありえる話です。
まだ黒人差別が横行していたアメリカから初来日した彼らは、これまで経験のない程熱烈な
歓迎を受け、本国とのあまりにもギャップに戸惑いを覚えつつも、それは一生忘れ得ぬ記憶と
なったようです。話によると、景気づけに日本酒を舞台袖で煽りながらのステージだったそうで
すが、そんな熱い声援に精一杯応えようと相当気合いをこめてプレーしていたと思います。 特
に最後の「チュニジアの夜』なんか、彼らのいろんなライブ・ヴァージョンの中でも最高の部類じ
ゃないですか。
その後、親日家のブレイキーは、メンバー・チェンジしながらも何度も来日を果たしていますが
、あの”ナイアガラ・ロール”と全盛期のモーガンのトランペット・プレーを日本で初めて生で聴け
たというのは、本当にファン冥利に尽きるというか羨ましいですね。
ところで、この作品。長らく廃盤になっていましたが(私はLPで所有。)、最近、新たに少し装
いを変えて復刻したみたいですね。音の方もリマスタリングされたようなので興味のある方はぜ
ひ聴いてみて下さい。